5月20日  劇団四季『アイーダ』を観に行きました

浜松町には、ハマさんに会いに行ったわけではありません。

劇団四季のお芝居を観に行ったのです。
それこそ、5年前までは「四季劇場」が勤務地の近くだったので、仕事帰りにちょくちょく行っていました。
勤務地が今の千葉に代わってからは行っていない・・・と言うことは、劇団四季のお芝居も5年ぶりと言うことになりますか。
いつもこの横断歩道を開演ぎりぎりに渡っていたものでしたっけ。
信号が変わるのがイライラするほど待ち遠しかったのを覚えています。
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四季劇場へ向かう人波も落ち着いていて、そんなに混み合ってはいませんでした。
お隣の『ライオンキング』には、バスが何台も止まっていて団体さんがいるようでしたがね。
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お天気も良く、観劇日和ですぞ。

今日観たのは、ミュージカル『アイーダ 愛に生きた女王』です。
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芝居は、現代のミュージアムから始まります。
過去歴史に名を残した女王アイーダを展示しているミュージアムのようです。
そこから、アイーダの半生へとお話は移っていくのです。

何幕、何幕と、話が移っていく、その幕の開け方閉じ方がコンピュータグラフィックの「フェード」や「ズーム」などのように凝っていて、考えたなぁと思いました。
現代の若者は、コンピュータグラフィックを駆使した映画やゲーム画像に慣れていますから、その手法に近づけたのでしょう。
ただ私には、それが逆にテレビ画面や映画の画面のように感じ、面白くなかったのでした。
あの1枚の幕の平面が凝っていることによって、そこから向こうの舞台上だけで芝居をやっている感じがどうしても許せなかったのです。
芝居は、演技者だけの物じゃない、客席の気持ちと一体となって紡いでいく、その日その瞬間だけに劇場の空気で作られる芸術なのです。
映画の感覚に似させていくと、本来の芝居の持つ立体的な空間が作る心地よい『和』を捨てることになります。
「芝居を観なくても、映画館でいいじゃん。テレビでいいじゃん」になってしまいます。

MIKANの感想としては、「自由劇場で見る芝居だな、ミュージカルと打ち出すには規模が小さい感じかも」と思いました。

客層が年配ばかりなのは何故?
その客層を観て、阿久津陽一郎は元気なかったの?
私の隣には私よりはるかに上の年齢の女性が1人で観にいらっしゃっていました。
???まさか、皆さん、飯野おさみの昔からの追っかけ?
ま、それならそれでいいんですけれど・・・

阿久津陽一郎にも追っかけがいそうです。
頑張れ、阿久津・・・ですかね。
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アイーダ役の秋夢子もよかったですが、アムネリス役の大和貴恵が光っていました。

秋夢子は主役なんだから、もっと気持ちが前に出てほしい。
お芝居は上手だし歌もダンスも完璧なのに、一歩、先輩方から気持ちが引いていませんか?
阿久津陽一郎は秋夢子と喧嘩でもしたの?って感じの前半芝居だった。
芝居上の『敵』に対する気持ちを表現したと言うのではなく、役者同士の確執のような・・・
ラダメスがどの時点から愛の感情が生れてきたかを表現しきれていなかった気がします。
舞台に出てしまえば劇団の先輩後輩同僚はないはず。
裏の役者としての『素』がが見える今日の主役2人はちょっとおかしい感じです。

それに比べて、大和貴恵が堂々として素敵でした。
役者の自分ではなく、女王アムネリスだったのです。
最後の幕の、アムネリスが後ろ向きで終わるシーンが、中央の2人より光っていたのは当然のことでしょう。

噂によると、若い男性アンサンブルが、映画マトリクスみたいでカッコイイとのことです。
一度ご覧になってはいかがですか?

言いたい放題の観客の感想・・・
            浅利慶太も大変ですこと。
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by keshi-gomu | 2012-05-20 21:03 | 芸術シアター