5月16日  うらないの石『おもかる石』

先日の岐阜旅行で、犬山へ行った時のことでした。

お城の入り口に『三光稲荷神社』がありました。
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お参りを済ませ、ふと横をみると女性が2人おしゃべりをしながら何かを持ち上げているのが見えました。
2人は旅行者ではありませんでした。
なれた手つきで、いつもここを通る時には欠かさず行っているかのように、何かを持ち上げているのです。

「何があるのだろう」と女性たちのいた、境内の脇へ行ってみました。
本堂の表渡り廊下(家で言ったら濡縁・縁側)に、座布団の上に重々しく置かれた『石』が一つありました。
その『石』の大きさは、『小さく前にならえ』をして出した両手の幅でもてるくらいの長さ。
奥行きは『広辞苑』が置かれたほど、『使用前のトイレットペーパー1ロール巻』のほどの厚みがありました。
河原に落ちているあの丸みのある『石』です。

写真を撮ってくればいいものを・・・と言われそうですが、
その『石』には「神が宿っている」と書かれていたので写真は遠慮したのです。
神様を写しては恐れ多いことですからね。

『うらないの石―おもかる石―』とありました。
説明には、
「目をつぶって自分のこれから未来に願うことを神に祈って下さい。そのまま、目をつぶったままこの『おもかる石』を持ち上げてください。軽いと思って持ち上がったら、その願いは叶います。重いと持ち上がらなかったら、その願いは叶いません」
と書いてありました。

そりゃMIKANですもの、やってみますよね。
目をつぶってこれから未来のことを願いました。

『MIKANが、これから億万長者になれますように…』
目をつぶったまま、『おもかる石』を両手に挟んで持ち上げようとしました。
『うっ、こいつぁ、重い』
さっき目で見た時、重そうだと思ったので、相当な力を入れて持ち上げてみたのです。
ところが、思っていた以上に重い。
『いや、ここであきらめちゃいかんだろ』
と、重いけれども自分の胸の高さまで持ち上げました。
きっと、目をつぶったまま『どや顏』をしていたに違いありません。
『石』を元に戻して、目を開けました。

持ち上げてみたものの、重いと思ったのは・・・
どうも気に入らないので、もう一度やってみることにしました。
(普通の人はうらないを2度はやらない)

今度は・・・
『MIKANの未来は、そこそこ幸せで暮らせますように・・・』
目をつぶったまま、『おもかる石』を両手で挟んで持ち上げました。
『わぉ~、軽っ』
さっき、持ち上げたから重さは分かっていたのですけれど・・・
その想像して持ち上げたこのくらいの重さだろうと思った重さより、もっと、もっと軽いのです。
きっと、目をつぶったまま『やっちまった顏』をしていたMIKANだったでしょう。
『石』を元に戻して、目を開けました。

神様を侮ってはいけません。
『やっちまった顏』の時、MIKANは神様を感じました。
一度目は、本当に重い『石』だったのに、重さを分かって持ち上げたはずの同じ『石』が二度目には重量も感じないほど軽かった。
重さを操作しているのは、神様なんですよ、自分で重さを分かっているなんて思ったMIKANの思い上がりだったのです。
やはり、『うらないの石―おもかる石―』なんですね。

まぁまぁ、よしとしましょうか。二度とも持ち上がったのですから・・・
一度目に持ち上げて石が重すぎて腕を痛め二度目には持ち上がらなかったら・・・シャレになりませんからね。

MIKANの将来は、『億万長者にはなれないが、老後はそこそこ幸せだよ』って言うことですか・・・


※後になって、つくづく思いました。
例えば「億万長者になれますように」と願ってあの『おもかる石』を持ち上げる場合、力のあるパワフルな人間は億万長者になれるのか・・?と。いや、パワフルだからこそ、財を貯めていくのではないかと。うらないも資本主義だねぇ。
病人だったら持ち上げられないじゃないかと思ってみたが、この地にまでやってこられれば元気の証拠だし。
若ければ持ち上げる力もあるが、老人だと無理かも。だが、老人になってまだ願ってるようじゃいけないのかとも。
色々考えると・・・『おもかる石』って、哲学ですぞ。
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by keshi-gomu | 2012-05-16 19:09 | 日本の車窓から