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3月14日  NHK大河 義清が我が子を蹴った演出へのうがった解釈

NHK大河ドラマ『平清盛』、低空飛行とやらでいろいろやってくれてますね。
お色気路線やら、幼児虐待描写やら・・・

佐藤義清はあの有名な西行なんですね。
Wikipediaには、
『近世初期成立の『西行の物かたり』(高山市歓喜寺蔵)には、御簾の間から垣間見えた女院の姿に恋をして苦悩から死にそうになり、女院が情けをかけて一度だけ逢ったが、「あこぎ」と言われて出家したとある。この女院は、西行出家の時期以前のこととすれば、白河院の愛妾にして鳥羽院の中宮であった待賢門院璋子であると考えられる』
と言う出家の説明と
『出家の際に衣の裾に取りついて泣く子(4歳)を縁から蹴落として家を捨てたという逸話が残る』
と逸話が書いてありました。
色々な説が書いてある中、NHKと同様ピックアップしてみましたが・・・

義清が璋子に失恋して出家したという説をNHKは採用した・・・これはよしとしましょう。
桜の花びらが舞うあのシーンで我が子を蹴飛ばしたと言うあの描写は、逸話の出家する際にすがりついて泣く我が子を蹴飛ばしたと言うものとは随分と違うと思うのですが。
逸話があればなんでも使っていいってものでもないでしょうに。

そうなると、ひねくれMIKANはついつい、NHK演出にうがった解釈をしてしまうのです。

義清は、見目麗しく、武芸も歌も、完璧にこなす人物と描かれています。
「弓は的の中央に当ててこそ価値があり、歌はそこにふさわしい言葉をその文字数きっちりとはめ込むのが価値がある」と本人も言っているように、完璧な自分にも酔っているいるようです。
兎丸と相撲を取れば体をかわして「勝負は熱くなった方の負けだ」と言い放つ。
最後に己に降りかかってくる言葉の伏線なのですがね。

義清にとっては、1度の逢瀬ではあるが璋子が自分を恋しく思っているのが当然の筋書きだったです。
しかし現実は、上皇は璋子の愛する水仙見物に出かけ、璋子の元へ隠れて行った義清は宮中の水仙を1輪見つけては喜ぶ璋子が水仙を通して上皇を愛しく思い続けているのを思い知らされるのでした。
悔しさから(嫉妬ではない)璋子の首を絞めてしまう義清。
「熱くなった方が勝負にまける」思わず、自分で発した言葉通りに人生の歯車が回っていったのです。

どこがうがった解釈かって?

義清は己に完全を求めた男だったのですね。
美しい自分、それは当然誰からも愛され好かれる自分でなければならなかったのでしょう。
清盛の家の使用人の女性が心ときめかすように、女性であれば全ての女性が、宮中の女性も全てが、義清のとりこになってしかるべき・・だったのです。
彼の人生のシナリオには、「自分に取り巻くものには美しい華がなくてはいけない」そう思う芯のような思いがあるようです。

清盛の妻明子に、思いを寄せていた義清。
第7話辺りにストーカーのように明子のそばにいた義清が描かれていましたよね。
清盛の家に行った際、驚く明子にジョークのように「私を振った女子を妻としたのだからな」と言い放つが、まんざら嘘ではないその心が、清盛への嫉妬に感じられます。
本当は、主人公の美しい妻が好きだったのだと・・・NHKは主人公を盛り立てることを忘れていません。

義清は友を持つことが好きではないのです。
友と肩を並べることが、自分にはあってはならないのです。
己が最高ですから。
最後のシーンで義清が清盛に「おまえさんは私の友だ、おまえさんに見届けてほしい」と髪を切るのですが・・
本当の友達に「おまえさん」って、何よ!・・・です。
「おまえさん」という言葉が、まずあの頃あったかどうか?
漫画の『浮世雲』を思い出させる江戸一般庶民を思わせる言葉ですよ。
それに江戸っ子の東の人間にとっては、あんまり相手を尊敬するときには使わない二人称です。
あそこに友情はない。

ほらほら、MIKANのうがった解釈が始まってるでしょ?

何が言いたいか・・・って?
桜の花びらを父に持ってきて「綺麗でしょ」と見せる娘と、それを愛しそうに見つめる妻の3人のシーン。
普通ならとても愛らしくて睦まじい家族の象徴なのですが・・・
義清にとっては、娘も妻もこの普通の家庭も、桜の花びらに象徴するには『美しくない』のです。
自分の人生の周りのものは、華麗なる上皇の妻璋子の華やかな『美しさ』であり、思い続けたおまえさんの妻明子の奥から輝くような『美しさ』でなければならなかったのです。
実際の妻と娘が見せる『それなりの満足』がいたたまれなかったのだと思うのです。

美しい桜の花びらに包まれる人生が義清の望む美しい人生なのでしょう。
美しい桜の花びらにも負けず劣らずの『美しさ』を求めてきた人生、その美しさに包まれて生きられない現実を悟った義清。
その瞬間が我が子を蹴飛ばしたシーンなのですか・・・?
弱いものをいじめるシーンは簡単にその場の雰囲気誇張ができますからね。

by keshi-gomu | 2012-03-14 19:31 | 週刊テレビ批評