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5月10日 食の安全、安心を他人任せにし過ぎじゃないの?

そろそろ始まる梅雨時期から、主人はパタッと生ものを食べなくなる。
夕食に簡単だからと、刺身を買って帰ると決まって「この時期の生ものは危ないよ」と言う。
ま、主人の場合は石橋を叩いても渡らないB型ですからね。
懲り始めるとのめりこむけど、飽きると辞めるのも早い。
しかし、自分の食に関して、このくらいの気持ちがあってもいいんじゃないかと思う。
食べなきゃ食中毒にはならないのは確かなことなのだ。

今回の食中毒事件。
ありえないほどの犠牲者が出ている。
勿論、問題の生肉を提供した焼き肉店と卸業者が悪いのは当然のことだ。

ただ、日本人全体が、食に関してあまりにも他人の物差しを信用しすぎじゃないだろうか?

お皿にのせられたユッケが菌に冒されていないのが目で見ては分からない。
例えば外食をして、添えられていたレタスが茶色くヌメッとしてる
・・なんて状態なら、みんなきっと残すだろう。
目に見えるので判断がつくからだ。
「厨房でいい加減に洗っているのかな、置いておいて腐ってきたのかな」など色々考える。
そして食べない、それが自然な反応だ。
なのに、菌がついているかどうか目に見えないユッケが運ばれてくると急にお店を信じ始める。
「厨房で自信を持ってだしているのだもの、安全よ」と疑いもしない。
これも、問題じゃないだろうか?

高いはずのユッケが安く提供されていて、沢山オーダーされていればどこかが手抜きになるとも思えるはずだ。

昔は、ユッケなんて生肉を子供に食べさせなかった。
酒の肴として、おとうさんが別にオーダーする料理だった。
手がかかった料理で丁寧に作られた料理だったのだ。
そう、店にゆっくりと手をかけて作らせるゆとりを与える状況でなきゃいけない。
それだけにコストも高く設定されていた。
食べさせないのは子供にはもったいないからなどという理由ではない。
子供の純粋なお腹に生肉は危ないと母親は思っていたのだ。
ある程度年齢がいった男性のお腹は、何が入ってきても大丈夫そうな百戦錬磨状態だからね。
そして、おとうさんが子供に「食べてみるか?」とちょっと食べさせ、
子供が「美味しいね」と終わる量が子供にはセイフティラインなのだ。
生肉を子供が大人の一人前量を平らげる状態こそ、親として考えるべきじゃないかと思う。
「うちの子はユッケが好きで」という現代人の不思議。
大人と子供が平等・・・って考えも、胃の大きさからして違う事実がある以上、おかしくないだろうか?

食の安全、安心を他人任せにしすぎの客側。
先ずは、外食はリスクがあると思って食べるべきだ。
見えない厨房で、もしかすると忙しいからと床に食器を置いているかもしれない。
これは実際だったが、見えない厨房で、洗いもせずに同じ包丁まな板で生肉を切ったり野菜を切ったりしているかもしれない。
現実、そう思って食べに行くべきなのだ。
優しいお母さんが家族のことを思って作ってくれる手料理じゃないのだから。

食の安全、安心を他人任せにしすぎの店側。
なんなんだ、あの店の発言。
「卸業者が生肉として安心だと言ったから・・」とか
「卸業者がトリミングをしてくれると言ったから・・」とは。
責任転嫁で言っている発言であるとは分かっているが。
じゃぁ、人の物差しで商売をして怖くはないのか?
卸業者がトリミングして、店に運ばれて来るんじゃ、その間にまた菌がつくじゃないか?
今は店すらも自分で考えないのだろうか。

トリミングねぇ・・・?
そういや昨今、古本屋さんも、トリミングして新鮮な本に見せてるねぇ。
トリミングすると新鮮そうに見えるのかな?

by keshi-gomu | 2011-05-10 00:02 | MIKANさんの目がテン!